行到水窮處 ゆきてはいたるみずのきわまるところ
せせらぎの水音を聞きながら、気の向くままに山道を歩いていたら水源にたどり着いた。という意味の言葉。 含んでいる意味は、無心の醍醐味です。 水源を探そうとやっきになって歩いていた時には見つからず、諦めて力が抜けたとたん、本質をヒョイとつかめてしまう。 どんなことも、力を抜いて無心になれば、いつの間にかつかめてしまうものなのではないでしょうか。
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